photo credit: David Ortez via photo pin cc
「韓国の本」が出た少し後、2つめの事件勃発。
オットが「ロースクール(法科大学院)に行きたい」、と言いました。
確か、当時40才に手が届くくらい、だったかな・・・?
ロースクールの修了年数は、通常3年間。
すごくラッキーなら、会社から「内地留学」で送り出してもらう方法もあるけど、
そうならない可能性もある。
そして、家には幼児が2人。
内地留学が認められなかった場合は、
私が単身働く・・・のよね? と思うと、
さすがに、とてつもなく恐ろしかったので、
さすがに 「ロースクールに行きたい」 と切り出された時は、泣いて説得し、
受験は思いとどまってもらいました。
が、私の涙の説得程度?では
「ロースクールに行きたい」 気持ちは、おさまらない様子。
1年後、再び「受験したい」 と。(うわーーー)
これ、今となっては「私の大学受験の時と似てるかもw」って思うんですが、
・ 子供が小さいのだから、地元の信州大学(松本市)限定で。
・ 不合格なら諦める
という条件で、チャレンジして頂きました・・・・
結果発表☆
・・・あ。(汗)
受かった、ですとーー?
そこから、彼は勤務先に「内地留学」の交渉。
しかし・・・やはりこのご時世です。
内地留学は却下。
そうすると・・・
ロースクールに行くならば、
会社を辞める、という事になります。
じゃあ、私はどうするの?
改めて考えてみると・・・
たとえば今のまま、働き続ける。
家族全員を自分の扶養に入れたら、
おそらく同世代男性とそう変わらない待遇になって、
贅沢さえしなければ、オットと子供2人、養っていけるかな?
でも、信大ロースクールは出欠もとても厳しいそう。
1つの科目につき、1回欠席はOKだけど、2回はアウト、だとか。
子供が病気の時のバックアップはおろか、
日常的な送迎なども、全く頼れない状態になるのは
今から目に見えてました。
私・・・今の閉塞感のまま、
家族を扶養して、子供の世話も全部みながら仕事、って
やっていけるのかな?
と想像したら・・・・
私の心は、即答で
「それは無理!苦しすぎる。 精神が、1年も持たない」 と。
でも、オットがロースクールに行くなら、
自分が働くしかないのよね?
・・・どうする自分?
更に考えてみると、
何故かわからないけれど、もう自然と
「会社に勤めるのが辛いだけで、仕事そのものは好き。
調査はとりわけ好きな仕事だし、
成果も…自分では出せてると思ってる!
※ 形・数値で見えにくい仕事。成果といっても、主観でしかありませんが・・・
だったら、個人事務所もあり、なんじゃないかな?」
という答えにたどり着きました。
オットには合格直後、1年間「休学扱い」にしてもらい、時間稼ぎ。
その間に、私は退職して開業。
これが、今の会社 「スマートワークス」 のスタートです。
翌年、オットが退職してロースクールに入る前に、
仕事を立ち上げなければ、
大人はともかく、子供達を路頭に迷わせてしまう・・・と、必死でした。
次回が最終話! 続きます。
「韓国の本」が出た少し後、2つめの事件勃発。
オットが「ロースクール(法科大学院)に行きたい」、と言いました。
確か、当時40才に手が届くくらい、だったかな・・・?
ロースクールの修了年数は、通常3年間。
すごくラッキーなら、会社から「内地留学」で送り出してもらう方法もあるけど、
そうならない可能性もある。
そして、家には幼児が2人。
内地留学が認められなかった場合は、
私が単身働く・・・のよね? と思うと、
さすがに、とてつもなく恐ろしかったので、
さすがに 「ロースクールに行きたい」 と切り出された時は、泣いて説得し、
受験は思いとどまってもらいました。
が、私の涙の説得程度?では
「ロースクールに行きたい」 気持ちは、おさまらない様子。
1年後、再び「受験したい」 と。(うわーーー)
これ、今となっては「私の大学受験の時と似てるかもw」って思うんですが、
・ 子供が小さいのだから、地元の信州大学(松本市)限定で。
・ 不合格なら諦める
という条件で、チャレンジして頂きました・・・・
結果発表☆
・・・あ。(汗)
受かった、ですとーー?
そこから、彼は勤務先に「内地留学」の交渉。
しかし・・・やはりこのご時世です。
内地留学は却下。
そうすると・・・
ロースクールに行くならば、
会社を辞める、という事になります。
じゃあ、私はどうするの?
改めて考えてみると・・・
たとえば今のまま、働き続ける。
家族全員を自分の扶養に入れたら、
おそらく同世代男性とそう変わらない待遇になって、
贅沢さえしなければ、オットと子供2人、養っていけるかな?
でも、信大ロースクールは出欠もとても厳しいそう。
1つの科目につき、1回欠席はOKだけど、2回はアウト、だとか。
子供が病気の時のバックアップはおろか、
日常的な送迎なども、全く頼れない状態になるのは
今から目に見えてました。
私・・・今の閉塞感のまま、
家族を扶養して、子供の世話も全部みながら仕事、って
やっていけるのかな?
と想像したら・・・・
私の心は、即答で
「それは無理!苦しすぎる。 精神が、1年も持たない」 と。
でも、オットがロースクールに行くなら、
自分が働くしかないのよね?
・・・どうする自分?
更に考えてみると、
何故かわからないけれど、もう自然と
「会社に勤めるのが辛いだけで、仕事そのものは好き。
調査はとりわけ好きな仕事だし、
成果も…自分では出せてると思ってる!
※ 形・数値で見えにくい仕事。成果といっても、主観でしかありませんが・・・
だったら、個人事務所もあり、なんじゃないかな?」
という答えにたどり着きました。
オットには合格直後、1年間「休学扱い」にしてもらい、時間稼ぎ。
その間に、私は退職して開業。
これが、今の会社 「スマートワークス」 のスタートです。
翌年、オットが退職してロースクールに入る前に、
仕事を立ち上げなければ、
大人はともかく、子供達を路頭に迷わせてしまう・・・と、必死でした。
次回が最終話! 続きます。
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