「サーチャー」酒井美里のできるまで~その5


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2人目出産後に起こった、「2つのできごとのお話」 です。


ひとつは「書籍の出版」です。
韓国特許に関する本を出版しました。そのきっかけなどを。


2002年頃、私は韓国企業に関連する業務に携わっていました。


当時、韓国特許の情報源は「韓国以外では、ほぼ皆無」で・・・
世間一般では欧米系のデータベース(DWPIとか)で調べるのがまぁ常識。
タイムラグが10ヶ月とか、1年以上だった気がします。


その時の仕事では
「タイムラグが10ヶ月なんて、まだるっこしい!現地情報は手に入らないのーー?」
ってな状態になりまして、

どうかなぁ?と思いつつ、インターネットで探ったところ・・・


韓国には、ハングル版のリアルタイム情報があるらしい、と判明。(今のKIPRISですね!)
でも、社内にはまだ、韓日翻訳ソフトがなくて。


その調査をするために、急遽韓国語を覚えてみることにしました。(笑)


あっ、業務命令ではなかったですよ。
自分で「やってみます」と申告したのです。
これ、もし業務命令だったら 「すっごいムチャぶり」 の域ですよねー。


たしか
「特許データベースだから、検索項目が解読できれば、何とかなるでしょー」
「ハングル文字の法則性がわかれば、いけるんじゃないかな?」 という、
すごく楽観的な 勘 で、やってみちゃったのです。


依頼元には
「だめもとでチャレンジします。1週間でできなかったら、ごめんなさい」
って感じに、お返事したような記憶が・・・



それで・・・検索&大まかな解読ができればいい、って思ったので、

ハングル文字の法則性を、丸暗記するのに30分。

あとは、1個ずつ文字を読んだら、案の定検索画面が理解できまして、
それほど時間もかからず、検索ができました。
(入社時といい、突貫工事の詰め込み勉強、案外得意なのかもしれません♪)


こうして意外とあっさり判明した
韓国データベースの、検索方法。




勤務先では電子デバイスを扱っていますし、
いつまた「韓国メーカーとの何か」が勃発しないとも限りません。
誰でも、とりあえず検索ができるように・・・と、社内向けの解説メモを残しました。


その頃は、相変わらず「諏訪勤務」で「育児中」の身。
正直、業界の動向には疎かったです・・・。

それで単に、所属していた検索の研究会(東京で隔月開催)で「今回、発表するネタがないから・・・」と、苦し紛れに「韓国データベースの検索メモ」を持って行き、発表したところ。


意外なほどの反響が。  (え?)

他にまだ、解説メモは出回っていなかったらしいのです。
(そうなんだ・・・誰かやってるかも?って思ってた)






「これ、詳しくまとめて、出版するといいよ!」

と、研究会の役員の方が、速攻で出版社に話をつないでくれました。
(え、えええええーーー?)



ものすごく、ありがたいお話!

とはいえ・・・

私は当時まだ、エプソン子会社勤務の身&子供たちが5才と2才。

「何を書いたらいいの?」
「勤務時間以外・・・ってことは、自宅?休日?私、書けるの???」


ええ、まったく 「書ける」 気がしません・・・(泣)(泣)(泣)


と、弱音を吐きまくったら、
同じ研究会の、別の先輩が

「活躍している人っていうのは、
みんな、何かしら無理をしながらやってきてるんだ。
今が業績を出せる時なんだ!やりなさい。」


と、を飛ばしてくださいました・・・・


当時 「なんとなく」 ではあるけれど、
会社では検索の事とか 「相談・質問を受ける側」 になってしまっていたし、
「子供さんが小さいから」 と、気を遣っていただく事も多くて、
を飛ばされる事なんて、しばらく皆無だったので・・・


あの「やりなさい!」は、辛かったけど、嬉しかったなぁ。。。


出版に繋いでくださった方、
檄を飛ばしてくださった方、
お二方は、今でも私の「大恩人」です。


おかげさまで 「夏休み返上&よれよれ状態」 だったけど、
韓国特許のほん、無事に形になりました。


会社での本業では、相変わらず 「閉塞感」 。
でも、出版のおかげで 「私、外の世界でもやっていける・・・かなぁ?」
すこし、光が見えたできごとでした。


第6話 ロースクール事件と、独立開業の巻 もうちょっと続きまする☆

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