「サーチャー」酒井美里のできるまで~その1

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ブログ移転してから、プロフィールとしては仕事ブログに「硬めのプロフィール」を載せてるだけでした。(そういえば・・・)

私が生まれてから、今までのお話を掲載します。既に40代半ばだけに!かな~り長い話になりそうです(笑)。 のんびりおつきあいください。




1968年11月19日に、母の実家のある岐阜県高山市で生まれました。
(実家&育った場所は長野県です。)


最初の子供だから、と里帰り出産したのはいいけれど、
長野と岐阜の間には北アルプスが聳えています。
その年は思いのほか積雪が多く、母と私はなかなか長野に戻れなかった、と聞かされています。(母はむしろ、のんびりできてよかったのかもしれませんね!)



両親と私、妹2人。三姉妹の女系家族で育ちました。

実家は今時珍しい専業農家。東京ドームの1.3倍ほど野菜畑があって、両親の若い頃は、連日トン単位(レタス1トン、とか)の野菜を出荷していました。そのためは春から秋の農繁期、とりわけ夏場は両親が忙しくて、夏休みの旅行の思い出も、海の思い出も一切ありません(笑)。
物心ついた頃は、本が友達でした。



実家のレタス畑 (実物)


家にあった本を端から読んでいくうちに、ひらがなを覚え、おそらくは振り仮名を頼りに、ひとりで漢字も覚えてしまったようです。小学校に上がる前に、漢字は普通に読めていた記憶があります。


田舎の小中学校では良く言えば目立つ、悪く言えば浮いた存在で、ずっと居づらさを感じていましたね・・。

クラスでは「頭がいいんだとは思うけど、何を話しているのかわからない」と評されていたようです。勉強をすれば 「ガリ勉」と冷やかされ、運動は苦手だったので、あからさまに笑われるような義務教育時代でした。

「学校に行きたくない!」と思う事もしばしばでしたし、
病気になれば堂々と休める、というわけで、無意識に病気を呼び込んでいたところもあって・・・ずっと病弱な小中学校時代でした。


私にとって幸いだったのは、父の存在でしょうか。
実家は元々開拓農家で、小学校の頃祖父に連れられて入植し、中学校しか出ていない父です。
勉強はできたらしい?のだけど、家庭の事情が許さなかったようで・・・常々「勉強ができるのなら、どんどんやりなさい」と言って、励ましてくれました。
地元で一番手とされる県立高校に送り出すため、15才から下宿もさせてくれた父母には、月並みですが感謝しかありません。


高校に入ると、小中学校の頃が嘘のように、楽しい毎日でした。
初めて「学校って楽しいんだ!」と思えたのは、高校の時ですね。
自分の思っている事を、普通に話しても「変な子」扱いはされないし、むしろ「そうだよね!」と賛同される事が、最初は驚きでもあり感動でもありました。
この頃からようやく「人前で自分を出す」事が、少しずつできるようになったのかな?と思います。


高校は進学校という事もあり、高校2年くらいからは「大学受験」が話題の中心に。
両親は変わらず、勉強を続ける事には賛同してくれていましたが、下に妹が2人いましたし、専業農家という仕事は天候・作柄に左右され、経済的にはとても不安定です。

そのため、両親から提示された条件は
「大学には出してあげたいけれど、手に職をつけるために、国立大学の理系限定・浪人不可」
「それがだめならすぐ就職」というものでした。


幸い、隣県の新潟大学と、「関西、面白そう!」という動機!?で受験した奈良女子大学、
両方の理学部に合格。
自分では、あまり良さ(?)がわからず「どっちでもいいかー」と思ったのですが、
高校の先生方も、下宿の大家さん(年配のおばあさまでした)も
「その2校なら、どう考えたってこっちでしょう!!!」と言うので、
奈良女子大学に入学手続き。上田から、奈良に転居しました。



大学は高校と同じで、自分を出しやすく、過ごしやすかったし、勉強も楽しかった。
合コンや他校のサークルにもちょくちょく遊びに行き、アルバイトもしました。
大学生っぽい事は、一通りやったような気がします。
そしてあっという間に4回生(4年生)、就職活動です。


就職活動はバブル真っ盛りの1990年。
生物学科での実験・実習が好き(今から思うと、視野が狭いですが。)という理由で、ずっと実験をしていられる「製薬会社の研究職」を志望して、関西の製薬会社をたくさん受験。
ですが履歴書でハネられるらしく、面接の声すらかかりません。
創薬研究は10年単位の研究なので、途中で結婚・出産・退社等の可能性がある「若い女子」は敬遠される・・・という話は、後で知りました。


次々と同級生の就職が決まる中、自分はなかなか就職が決まりません。
ふと弱気になり 「夏休みには、地元企業受けてみようかな・・・」と、それまでは考えていなかった長野の会社を受験。
バブル期にしては出遅れた就職活動でしたが、滑り込みセーフ!?で、就職先が決まりました。


第2話、知財部時代続きます♪  


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